文明社会と隔絶された未開民族イゾラドとの接触が危険な理由
10年に1度レベルの超傑作ドキュメンタリーではないかと思っているNHKスペシャルの大アマゾン特集。最終回の第4回はイゾラドとよばれる文明社会から隔絶されたアマゾン先住民族の特集だった。衝撃的だった。(たぶんまだ再放送あります)
文明との接触で全滅してしまうイゾラド
しかし、文明社会と接してこなかった彼らは、文明側の人間と会話をすること、握手をすることも毒になり得る。免疫がなく、外界との交流によってイゾラドの一族を死に至らせてしまうこともあるのだ。
冒頭のリンクでも番組内でも触れられていたが、イゾラドと文明社会が接触すると、”非”文明側が病気で全滅してしまう危険がある。そのためイゾラドに接触する文明人はNHK取材チームも含めて、厳重な健康検査やワクチン注射をを受けなければいけないらしい。
なぜそういうことがおこるのか?
病原菌が世界の覇者を決めた説
文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
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「銃・病原菌・鉄」はタイトルこそつまらなそうだけど、2016年に読む本ではダントツで1番おもしろい本となる予定。朝日新聞のゼロ年代の名著第1位にも選ばれているらしいが、これは本当にその価値がある。凄すぎる。。たぶんこの本を引用して今後10本くらいは記事書くことになりそう。
文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
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人類史を振り返ると、大航海時代以降、ヨーロッパがアメリカ大陸、オーストラリア大陸を征服してしまったが、
「なぜ征服者がヨーロッパ人であり、その逆のアメリカ先住民、オーストラリア先住民ではなかったのか。」
「銃・病原菌・鉄」では、その必然性を詳らかにする。
「なぜヨーロッパが征服者となりえたのか」について表面的なこたえを用意すると、それこそがタイトルにあるように銃であり、病原菌であり、鉄をいち早く発明・発見できたことが理由であるのだが、この中でおそらく一般の人がわからないのは、なぜ”病原菌”が他大陸の征服に貢献できるのかということだ。もちろん昔の人が病原菌を生物兵器として使ったとかいう話ではない。
家畜と人口の密度が最強の病原菌を製造する
新大陸を開拓しようとアメリカにのりこんだヨーロッパ人は殺傷力の高い病原菌とその免疫を持っていたが、先住民にはそれがなかった。結果的に、ヨーロッパ人から見ると何もせずとも敵である先住民がバタバタと倒れていくことになり、インディアンやアボリジニは悲惨な運命をたどることとなった。
なぜその逆、つまり先住民が病原菌と免疫を持ち、ヨーロッパ人を殺してしまう方向に感染がおこらないのかと言えば、ヨーロッパでは大規模な畜産がおこなわれていたが、アメリカ先住民の文明にはそれがなかったからである。
ウイルス、細菌などの病原菌は基本的に動物から生まれ、変異を繰り返して動物種間を移動し、ヒトへの殺傷力の高い天然痘、インフルエンザ、はしか、おたふく、マラリア、エボラなどとなって現れる。
これらの菌は「接触」、「飛沫」、最強の部類でも「空気」を媒介しなければ感染できないので、動物同士、ヒト同士があまり密集しない状況下では感染力を高めることができない。そのため、動物およびヒトの密度の高さが病原菌の感染力の強さを決定する要因となる。つまり大規模畜産をおこない、人口集約された文明社会が強い病原菌製造の条件となる。
病原菌に決定づけられる未開民族の不幸な運命
もちろんヨーロッパ人が無傷でこの病原菌に対する免疫を手に入れたわけではなく、これらの病気を克服する過程で相当の被害者を出しているのだが、その地獄が発動されるタイミングが征服者が押し寄せてきたときだったということが、アメリカやオーストラリア先住民からすると不幸以外のなにものでもなかったかと思う。
実際アメリカ大陸の例で言えば、当時のアステカ、インカ、マヤ文明は十分高度な文明であった。ヨーロッパの水準ほどではなかったにしても、少なくとも大西洋を何日もかけて渡ってきた少数の開拓者に陥落させられるほど脆弱な民族ではなかったはずである。その運命を決定づけたのは大部分が病原菌免疫の有無であったと言えると思う。
当時のヨーロッパには、病原菌に関する今ほどの見識はなかったはずなので、自分たちは安全で先住民たちが死んでいく状況に対する説明を、おそらく宗教や民族の優位性に求めただろうと思う。それが残虐な所業を正当化することにもつながった可能性を考えると、自然の摂理の冷酷さというかなにか悔しさを感じる。