なぜ南アフリカの殺人発生率は高いのか?
南アフリカと言えば、世界最悪クラスの治安の悪い国として有名である。
2014年の国別殺人発生率で比較すると世界ワースト9位に位置する。一般的に殺人発生率はGDPと負の相関があることが知られている(GDPが大きいほど、殺人発生率は下がる傾向がある)。その相関を補正して見ると、ある程度以上の規模の国家の中ではベネズエラに次ぐワースト2位。
以下が国別、都市別の南アフリカの治安の悪さを物語るデータだ。
世界の殺人発生率 国別ランキング - Global Note
国の国内総生産順リスト (為替レート) - Wikipedia
順位 | 国名 | 殺人発生率(件/10万人) | GDP世界ランク | GDP額 |
---|---|---|---|---|
1 | ホンジュラス | 74.55 | 108 | 18,550 |
2 | エルサルバドル | 64.19 | 103 | 24,259 |
3 | ベネズエラ | 62.00 | 26 | 509,964 |
4 | 米領ヴァージン諸島 | 52.83 | - | - |
5 | レソト | 37.99 | 161 | 2,335 |
6 | ジャマイカ | 36.11 | 119 | 14,362 |
7 | ベリーズ | 34.38 | 167 | 1,624 |
8 | セントクリストファー・ネイビス | 33.33 | 179 | 766 |
9 | 南アフリカ | 32.99 | 33 | 349,817 |
10 | グアテマラ | 31.21 | 77 | 53,797 |
南アフリカの突出した凶悪犯罪が生まれる背景には、それなりの原因があると考えられる。「南アフリカの衝撃」にその凶悪犯罪を生む土壌についての記載がある。その実態を紹介したい。
南アフリカの大問題、格差問題と失業率
アフリカ大陸屈指の経済力を誇る南アフリカになにがおこっているのだろう?GDPが大きいにもかかわらずここまでの殺人発生率をたたき出す要因としては、貧富の格差があまりにもでかいことが考えられる。
実際に以下サイトで世界銀行調査のジニ係数(貧富の格差をあらわす指標で、100に近いほど格差が大きいことを示す)を確認できるが、格差が大きい順に並べると、南アフリカがダントツの1位に浮上してきた*1。他の追随を許さない63.38である。ちなみにこの文脈のデータで、格差拡大が問題視されているアメリカでさえジニ係数は41.06(2013年)に過ぎない。南アフリカの経済格差は異常事態である。
http://iresearch.worldbank.org/PovcalNet/povOnDemand.aspx
Country | Year | Gini index |
South Africa | 2011 | 63.38 |
Namibia | 2009.54 | 60.97 |
Haiti | 2012 | 60.79 |
Zambia | 2010 | 55.62 |
Lesotho | 2010 | 54.18 |
Colombia | 2014 | 53.5 |
Paraguay | 2014 | 51.67 |
Brazil | 2014 | 51.48 |
Panama | 2014 | 50.7 |
Guinea-Bissau | 2010 | 50.66 |
さて、専制国家でも独裁国家でもない南アフリカがなぜここまでのジニ係数をたたき出せるのか?失業率を見るとこれまた驚愕の数字が出てくる。2015年のデータでは25.37%*2。世界3位をマークする。5300万の人口がいるので、実に1500万にものぼる失業者およびニートが存在することになる。
異常な格差、失業率、殺人発生率、これらの元凶をうんだ背景は、やはり「アパルトヘイト」に集約される。「アパルトヘイト」と言えば、私が生まれたころにもまだ存在していた人種差別法である。それが脅威の殺人発生率におよぼした影響を3つあげたい。
産業の健全な成長を阻害したアパルトヘイト
アパルトヘイトは国際社会から猛烈な批判を受けており、経済制裁を受けていた。そのため南アフリカは自国の成長戦略として、独占的に産出していたレアメタルを除けば、製造業などの輸出産業をあてにできなかった。その結果、南アフリカ全人口の10%に満たないマイノリティである白人向けの内需をベースとする事業しか育たなかったのである。深刻な産業の発達障害を起こしてしまったということだ。
この構造は膨大な失業者をうむ土壌となった。
農村を破壊したアパルトヘイト
アパルトヘイト政策では白人が黒人から土地を取り上げた。裕福な白人は産業構造の変遷に伴って第二次産業、第三次産業にシフトしていったため、農村がことごとく破壊された。農村のコミュニティはある種セーフティネット的な役割を果たす。むきだしの競争、拝金主義の大都市からのがれられる場でもある。それが破壊された国で大量の失業者が出るということは、反社会的勢力の拡大を許すということでもある。
実際にアパルトヘイト運動自体もこのエネルギーを源泉として盛り上がった側面がある。
反アパルトヘイト運動によってうまれたロストジェネレーション
反アパルトヘイト運動は正真正銘、内なる革命だった。差別の対象であった「黒人」が運動をおこし、その運動によって勝ちとった革命であった。反アパルトヘイトの重要な運動の1つに「ソウェト蜂起 - Wikipedia」がある。
ソウェト蜂起では、学生が中心となり激しい抗議活動が展開され、その一貫で学校のボイコットがおこなわれた。このボイコット世代の多くは、青年期に教育を受けなかったために、アパルトヘイト全廃を勝ちとって以降も仕事がなく、できることがなくなってしまったのだ。この世代はロストジェネレーションとよばれ、数百万のオーダーで存在するという。
反アパルトヘイトを成功に導いたこの運動は、副作用として多くのドロップアウト者を出してしまったのである。この世代は高失業率と農村の破壊によっていきばを失い、その多くがダークサイドへ堕ち、驚異の殺人発生率の基盤ができあがってしまった。
考えてみれば、既存の仕組みを破壊する力と、新しい仕組みを創造する力はまったくのベツモノだ。革命運動の多くは、「破壊の力」に長けた人たちの運動である。けれど問題の根が深ければ深いほど、革命後の「再構築する力」が重要になってくるのだろう。
ロシア革命がおこった際にも似たような社会の混乱があった。1917年のロシア革命に50年先立って、「農奴解放」がうけいれられた。農地に縛られていた奴隷は自由を勝ちとったにもかかわらず、あまりにも貴族の利益を担保したうえでの農奴解放だったため、多くの解放奴隷はかえって貧困に苦しむこととなった。このとき不満をためた勢力が人類史上初の社会主義国家を樹立する原動力となったのである。
現在のシリアの混乱もこれと少し似ている。シリア内戦の元は「アラブの春」という中東を席巻した民主化運動であった。このビッグウェーブにのった民主化勢力がアサド政権打倒をもくろんだが、内戦は泥沼化している。結局なにを守るためにたたかっているのかわけがわからない状況になってしまった。
反アパルトヘイト運動は人類史に残る偉大な革命を成功させた。にもかかわらず、アパルトヘイト時代の負債が根深いばかりに、多くの黒人は依然世間で評価されているほど恩恵を受けてないように思われる。この革命が南アフリカにとって重要な一歩であったことは間違いないが、先はまだ長い。
*1:2010年以降データが存在する国のみを対象にしている