宇宙スープ

Once upon a time, the Universe expanded from an extremely dense and hot soup

ネアンデルタール人はしゃべらなかった。そんなことありえる?

ネアンデルタール人 言葉」などでググるとわかるが、ネアンデルタール人はしゃべらなかったと思っている人がわりと多い。だが、そんなことありえるだろうか?

...厳密にはありえる。ネアンデルタール人は言葉を話さなかったという可能性もゼロではない。でも、ゼロではないからといって、どうして彼らがしゃべらなかったという可能性をことさらに強調するのだろうか?

...その意図もわかる。わかりやすいストーリーを作りたいのだ。ホモ・ネアンデルターレンシスには言葉がなく、ホモ・サピエンス*1には言葉があった。その差が競争を有利にし、ホモ・ネアンデルターレンシスは絶滅し、ホモ・サピエンスは生き残ったと。
だから、こういった主張をするのは、言語の起源を研究をしていたり、言語を軸にホモ・サピエンスアイデンティティを定義しようとする人たちに多いだろう。

だが、わたしから見ると、この類の推論はきれいなストーリーを作りたいあまり、的をえていないように思える。なぜそう思うか、それは、人類とネアンデルタール人の石器の変遷を見ればわかる。

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの石器の変遷

人類の石器時代は、おおまかにいって、

に分けられ、さらに旧石器時代は、

に分けられる。このトピックにとって非常に重要な時代は、中期旧石器時代および後期旧石器時代だ。

ネアンデルタール人が地球上に現れたのは約40万年前、ほろびてしまったのは約3万年前だ。大半は中期旧石器時代に該当し、後期旧石器時代にさしかかっている。この時期、ネアンデルタール人や同時代のわれわれの祖先が使っていた石器は、荒々しいハンドアックス、そして道具としては一段階進歩を遂げた剥片石器というものだ。

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これらの石器におもしろさを見出せる人は学者以外にはすくないと思うが、もっとも重要なこととして、数十万年という長い同時代をともにしたネアンデルタール人ホモ・サピエンスは、その大半を両者とも多様性にとぼしい文化を営んですごしていたのだ。これは遺跡の記録からあきらかなことなのだ。約4.5万年前(後期旧石器時代にさしかかる時期)より以前の遺跡には、剥片石器よりも洗練された石器は出土しない!!つまり、その時代にいたのが誰だろうが、ホモ・サピエンスも、ネアンデルタール人も、デニソワ人も、ホモ・エレクトスも、はたまたチンパンジーも、4.5万年前以前は、誰もが原始的な技術力しかもちあわせていなかった。

ところが、約4.5万年前あたりから、ホモ・サピエンスが所有する石器だけが急激に洗練され始める。ちょうど以下のような具合に。多様な石器が次々とあらわれ、用途が専門家されていくことがわかる。

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時系列でまとめる

さて、今私たちが手にしている情報を時系列にまとめよう。

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ホモ・サピエンスがその祖先であるホモ・エレクトスから進化したのは約20万年前といわれている。解剖学的に現在の人類とかわらない存在は、登場以来少なくとも15万年ほど、原始的な石器をつくり続けた。これが示唆していることは、いささか衝撃的ですらある。わたしたちは、今手持ちの継承文化をすべて失うと、どんなにがんばっても原始的な石器しか作れようにならず、しかもそれが10万年以上も続く可能性が高いわけだ

数十万年という気が遠くなるほど長い間、さしてかわりばえのしない石器を作り続けてきたという事実は、コミュニケーションの質を推測する上でおそらくもっとも重要な手がかりだ。少しでもこの二大人類に言葉の質の違いがあったとするなら、彼らがつくる石器にもその違いが反映されていないとおかしい。それが数十万年に渡って見られないということは、同じレベルの言語能力だったと考えるしかない。少なくともそれがわれわれの生活をかえたり、生存確率をかえるような、意味のある差でないことはあきらかである。

こう考えると、ネアンデルタール人がわれわれよりも”あきらかに”劣っていたと考えることは、相応の根拠がない限り、無理矢理感が強いことがわかってもらえると思う。

 

約4.5万年前なにがおこったのか

しかしそれと同時に、こうして時系列で見ると、約4.5万年前、なにやらただごとでないことがわれわれの身におこったこともあきらかだ。このときわたしたちは急に思いついたかのように、アフリカをとびだし、次々と大陸に進出し、海を渡り、洗練された石器をつくり、犬を飼いならし、洗練された武器をつくり、芸術作品を数多く作り始める。今の私たちからみても文明とよべるものが、ついに動き出す。そして、これと時を同じくしてネアンデルタール人が絶滅するのだ。

このとき一体なにがおこったのか?

わたしはそのこたえが知りたくてしようがない。その真相は残念ながら謎のままだが、問題解決能力の飛躍的な向上、文化伝統の飛躍的な蓄積がおこっていることを考えると、以下のようなことのいずれか、またはいくつかがおこっているのではないかと推測できる。

  • 人口増加
  • 長寿命化
  • 手先の器用さの進化
  • 言葉の進化

 前述のように、脳容量などといった大きな違いは約20万年前から現在に渡って、生まれていない。(むしろ脳容量は現代までの間小さくなっている)この飛躍を生んだのは、化石に残らない、微妙な因子だ。なんらかの要因で長寿命化したことで、知識が蓄積し、様々な文化がうまれ、言葉も進化した、とも考えられるし、なんらかの要因で言葉が洗練され、繊細な道具を数多く作れるようになり、食生活が改善し、人口が増加したとも考えられる。因果関係のパターンは無数にあり、おそらくそのどれもが、他の因子を強めるポジティブフィードバックのかたちをとることになっただろう。

飛躍のきっかけとなった要因が、遺伝的なものか、そうではないか、という点は興味深い問題だ。きっかけが遺伝子の突然変異だったという可能性はいぜんとしてある。なぜなら、脳の回線のわずかな変化によって飛躍的に言語能力が向上するということはありうるが、それは解剖学的な差となって化石にあらわれないからだ。

だがいずれにしても、ネアンデルタール人は言葉を持たなかったからホモ・サピエンスに敗れた、という考え方はフェアなものの見方ではない。その根拠をいくつか示そう。

 

言語を司る遺伝子FOXP2

まずはFOXP2について。

FOXP2とは言語能力とむすびついている遺伝子の名だ。イギリスに住むある家系の数十人が、3世代にも渡って、うまく言葉を話せない先天性の障害をもっていた。彼らの遺伝子を深く調べていくと、第7染色体に突然変異が見られることが判明する。この研究がブレイクスルーとなって、言語を司る遺伝子FOXP2の存在があきらかとなった。

ネアンデルタール人ゲノムもついに解読されてしまったので、おそらく人類学者はネアンデルタール人がFOXP2遺伝子を持っているか?という点にもっとも興味があっただろう。その結果は、「持ってた」である。

これをもって決着としてもよさそうなものだが、2015年に放送されたNHKスペシャル生命大躍進では、FOXP2遺伝子のわりと近くで、ネアンデルタール人ゲノムに変異が見つかったので、これが原因でホモ・サピエンスほどの言語能力がなかったのではないか、という見解だった。
その可能性もなくはないが、前述のように15万年ほども両者は似たような石器をつくり続けていたので、その説にそうならば、約4.5万年前ホモ・サピエンスにだけその部分に突然変異がおこり、一瞬でグループ内にひろがったということになる。
これが事実かどうかは、それ以前の人類のゲノムを解読できればあきらかになるだろう。わたしは4.5万年よりはるか以前からこの違いがあったと思う。つまり4.5万年前の飛躍の要因ではないと思っている。

 

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスは交雑した

このテーマも長年の注目の的だったが、ネアンデルタール人ゲノムが解読されたことで、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスのあいだに交雑があったかどうかもすでに判明している。その結果は、「現生人類ゲノムの約1-4%がネアンデルタール人由来」である。 

つまり、ネアンデルタール人とわたしたちは交配したということになるが、その事実よりもっと重要なこととして、「わたしたちの直系の祖先は、ネアンデルタール人との間にできた子どもを育てた」という厳然たる事実がある。そうでないと、現生人類のゲノムにネアンデルタール人ゲノムが残されているということはありえない。ネアンデルタール人との間に産まれたこどもをすべて殺してしまったり、すべて部族から追い出したり、そういったことはなかったということを示している。そして当然のことだが、その間にうまれたこどもは、伴侶をえて、次世代にこどもを残すことができたのだ。われわれは彼らの子孫である。このことについては以前も記事に書いた。

metheglin.hatenablog.com

わたしたちとネアンデルタール人は協力して子どもを育てた可能性すらある。なにしろ1-4%も遺伝子が残されているのだから。だとしたら、ネアンデルタール人がしゃべらなかったということがありえるだろうか?片親だけが無言だったら笑ってしまう。
もちろん、そういうこともありえないことではないだろうが、かなり不自然な考え方だ。

 

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの文化を真似た

最後に、わたしから見たら決定的と思われる例を紹介する。

後期旧石器時代になって、シャテルペロン文化とよばれる文明が発達する。この文明を発展させた者がだれなのか、長年議論の的だったらしいのだが、ネアンデルタール人の化石といっしょに遺跡が出土されたことで、確定的になった。シャテルペロン文化は、ネアンデルタール人によって繁栄させられ、かつての彼らにはつくれなかったはずの、高度な石器類をもつ。ホモ・サピエンスがヨーロッパに進出するようになってしばらくして興り、ネアンデルタール人が絶滅する直前まで続いた。このタイミングは、あきらかにホモ・サピエンスからの侵攻を受け、かれらは学習し、模倣し、対策を練ったことを示している

言葉をうまく話せない集団が、この短期間でこのレベルの問題解決能力を発揮できるだろうか?

シャテルペロン文化 - Wikipedia

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ネアンデルタール人がこのブログを読むときがくるかもしれない

ネアンデルタール人ゲノムがすべて解読された今、理論上はネアンデルタール人を現代によみがえらせることが可能だろう。そのとき、彼/彼女は言葉を話すようになるだろうか?わたしたちは再現可能な問題としてこのテーマで議論することができる。

「人間と同じように育てられれば、人間と同じようにしゃべれるようになる」
わたしなら絶対にこっち側に賭ける。わたしの予想では、彼/彼女は高校に入学すると、twitterアカウントも開設するだろう。記念すべきはじめのツイートはおそらくこんなかんじだ。ブラックなユーモアを添えて。

「4万年の時を経て復活しました!わたしの遺伝子をほろぼした人類に蘇らせてもらうなんて複雑な気分ね」

 ネアンデルタール人が言葉を話したか、話さなかったか、各人が類推するのはもちろん自由だが、今や、ネアンデルタール人本人がその類推記事を読むということが理論上可能な時代にきている。そのとき、彼らにどういうメッセージが伝わるか、わたしは考えたい。そしてわたしのメッセージはこうだ。

「わたしはネアンデルタール人の才能を信じているし、彼らとともだちにもなりたい」

 

 

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)

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人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

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*1:ややこしいので、本記事ではネアンデルタール人と同時代に生きていたわれわれの直系の祖先をホモ・サピエンスとよぶことにする